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2014年7月1日

Rake×東松島市長
「“感動”が心の復興を助ける」


 
音楽でできること
Rake 氏(以下、Rake):
僕は宮城県で生まれ育ち、震災が起きた時代に歌う職業に就いていて、こうして東北観光親善大使という使命をいただけたことに感謝しています。継続的に東北、そして宮城県を盛り上げていくことができたらと思っています。今年はこうして宮城県内各地でライブをさせていただいているんですが、日に日にその想いが強くなっていることを実感します。
東日本大震災直後、生活において最低限の食料と住む場所の確保が先決される状況下で、音楽を職業としている自分は、いち宮城県民として一体何が出来るのだろうかと迷っていました。しかし、音楽活動を通して全国へ向けて東北、そして宮城県の現状を伝えていくことができるということに気づき、僕なりの言葉で東北の“今”を発信し続けています。
今日は市内各地にお邪魔して歌わせていただいたんですが、年配の方にも僕の歌を聞いていただき、とても嬉しかったです。震災以降、生の音楽を聴くのは初めてだと皆さん喜んでくださいました。衣食住はもちろんですが、それにプラスして、笑ったり、ストレスから解放されたり、何か熱狂できるものがあったりしてこそ人間らしい生活ができるのかなとも思いますね。音楽でお腹を満たすことはできないけれど、制限のある仮設住宅で暮らしている皆さんが僕と一緒に声を上げて歌って、少しでも心に積もっているものが軽くなったらいいなと思いながら活動しています。
 
感動することはとても大切
東松島市 市長 阿部 秀保 氏(以下、阿部市長):
音楽でもスポーツでも、それらに触れることで元気やヤル気が出ますからね。被災された市民の皆さんが日常の生活を取り戻してこそ、復興と言えます。震災前のように心に余裕がある生活を取り戻すためには、感動することはとても大切です。
私たちの市にはブルーインパルスの本拠地となっている航空自衛隊の松島基地があるんですが、震災時、飛行機を含めて基地全体が津波の被害を受けました。ただ、ブルーインパルスは翌日に予定されていた九州新幹線全線開業の祝賀飛行のため、福岡県の基地にいたので助かったんですよ。昨年の3月31日に2年ぶりで松島基地に戻ってきて、いまは週に3回、訓練のため市内上空に姿を見せてくれます。多くの市民は、その姿に感動して、励まされていると思います。今年、山形県で行われた東北六魂祭でも華麗な飛行を見せてくれました。2020年に開催される東京オリンピックにも呼ばれるんじゃないかな。
 
Rake:
(阿部市長の示す松島基地やブルーインパルスの写真を見ながら)上から見ると、基地はこんな感じになっているんですね。(宮戸島のあたりの写真を見ながら)ここは半島かと思っていたら、島なんですね。
 
阿部市長:
ええ、島ですよ。島と本土をつなぐ橋があったんですが、これも津波で流されてしまいました。いまは仮橋を架けていますが、平成29年度を目標に新しい橋の工事を進めています。
ご存知だと思いますが、東日本大震災で宮城県では1万人以上の方が亡くなったり行方不明になったりしています。実は、私たちの市と石巻市、女川町の二市一町で、その半数を超える被害者を出しています。ですから、この二市一町の復興が進むことで、宮城県の復興を推し進めることにつながるのだと思っています。
私たちの市は地盤が低いために、市内の約3分の1が津波で浸水しました。震災前も、満潮時は田んぼに海水が入らないようにポンプを回すなどの処置が必要なくらいでしたからね。
 
Rake:
確かに、大雨の日に東松島市へお邪魔したときも、そこの川がかなり増水していてびっくりしました。
 
備えは必要
阿部市長:

地盤が低いので、震災前も0.5メートルの津波でも避難するようシュミレーションしていました。0.5メートルの津波は、足をすくわれる規模です。でも、あの震災時、実際に襲ってきた津波は、市内では最高約10メートルに達しました。見た方の話によると、壁が襲ってくるようだったそうです。
 
Rake:
先日ラジオのナビゲーターとして気仙沼にお邪魔した際、旧・建設省出身だという方にお話を伺う機会があったのですが、その方は、遠くない未来にやってくるという宮城県沖地震に備えて、自家用車に食料を含めた避難用具を常に積み込んでいたそうです。周りの方からは大げさだと言われていたそうですが、実際にあの震災が起きてそれらが役立ったと話していました。備えは必要ですね。
 
阿部市長:
そのとおりですね。私たちの市は、過去にも何度か津波の被害を受けています。その事実を風化させてはいけません。今回の震災で、それがしみじみと身にしみました。
 
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